プレカリティコーチングとは? プレカリティ心理学を応用したコーチング
プレカリティコーチングとは? プレカリティ心理学を活用したコーチング
不安定な時代の“生きづらさ”に寄り添う新しい心理学を活用


「頑張っているのに報われない」「将来が不安で仕方がない」——そんな感覚を、私たちはつい“自分の弱さ”のせいだと思い込みがちです。しかし近年、心理学の世界では、こうした不安定さ(precarity=プレカリティ)を個人の性格や努力不足の問題としてではなく、社会構造との相互作用として捉え直す動きが広がっています。
本記事では、米国心理学会(APA)の学術誌『American Psychologist』に掲載されたBlusteinら(2024)の論文『The Psychology of Precarity: A Critical Framework』をベースに、「プレカリティ心理学」とはどのような考え方なのか、そしてそれを実践的なコーチングに落とし込む「PRECARITYフレームワーク」について、専門用語をかみ砕きながらわかりやすく解説します。
プレカリティとは何か ― “自己責任論”では説明しきれない生きづらさ
プレカリティとは、雇用の不安定さ、経済的な困窮、社会的孤立、将来への漠然とした不安など、「安定した生活の基盤を持てない状態」を指す心理社会的な概念です。もともと哲学者ジュディス・バトラーや社会学者ガイ・スタンディングらが提唱し、近年は心理学の分野にも急速に取り入れられています。
重要なのは、プレカリティが単なる「不安」や「ストレス」と同じではないという点です。不安や不確実性はあくまで個人の内的な感情ですが、プレカリティはそこに「構造的な不平等」という視点を加えます。つまり、非正規雇用の増加、社会保障の縮小、人種や性別による格差など、社会・政治・経済の仕組みそのものが生み出す不安定さに焦点を当てるのです。
言い換えれば、プレカリティ心理学は「なぜこんなに生きづらいのか」を、個人の心の中だけでなく、その人を取り巻く社会構造の中に探ろうとする視点だと言えます。
なぜ今、プレカリティ心理学が注目されているのか
Blusteinらは、新自由主義(ネオリベラリズム)的な政策の広がり、新型コロナウイルスのパンデミック、格差の拡大、権威主義的な政治潮流の台頭などが重なり合い、かつてないほど多くの人々がプレカリティの只中に置かれていると指摘します。
実際、パンデミック以降、メンタルヘルスの不調を訴える人や相談件数は世界的に増加しました。この背景には、個人の脆弱性だけでなく、雇用の不安定化や医療・福祉制度の脆弱さといった構造的な要因が色濃く関わっています。だからこそ、「頑張れば何とかなる」という自己責任論だけでは、現代の生きづらさを十分に説明できなくなっているのです。
プレカリティ心理学コーチングとは
プレカリティ心理学コーチングとは、こうした知見をもとに、クライアントが抱える不安や停滞感を「本人の弱さ」ではなく「置かれている状況との相互作用」として一緒に整理し、資源の発見・つながりの構築・小さな行動への一歩を後押しする、共感ベースの支援アプローチです。
Blusteinらの枠組みでは、プレカリティは次の3つの要素が絡み合うダイナミックな現象として描かれています。
- 社会・政治・経済的文脈:雇用制度、法律、地域社会の状況など、その人を取り巻く外的な条件
- 物的条件:住居・食料・医療など基本的なニーズを満たすための資源へのアクセス
- 心理的経験:慢性的な不確実性からくる不安、無力感、そして時に希望の喪失
そして、この3つの要素に対して、人は「抵抗(Resistance)」「適応(Adaptation)」「諦め(Resignation)」という3つの反応を、状況に応じて行き来しながら示すとされています。コーチングにおいては、この3つのどれが「正しい」「間違っている」ということはなく、その人なりの生き延び方として尊重する姿勢が何より大切です。
PRECARITYフレームワーク ― 9つのステップで整理する

プレカリティ心理学の考え方を、実際のコーチングセッションで使いやすい形に整理したのが「PRECARITYフレームワーク」です。頭文字のPRECARITYそのものが「不安定さ」を意味する単語であることを逆手にとり、9つのステップとして体系化しています。
| 文字 | 概念 | コーチングでの問い |
| P | Perceive(気づく) | 今、何が起きている? |
| R | Recognize(理解する) | なぜこれが起きているのか? |
| E | Explore(探る) | 使える強み・資源は何か? |
| C | Connect(つながる) | 誰と、どうつながれる? |
| A | Act(行動する) | 最初の小さな一歩は? |
| R | Reflect(振り返る) | そこから何を学んだか? |
| I | Innovate(工夫する) | 新しいやり方は考えられる? |
| T | Transform(変えていく) | 生き方や環境をどう変える? |
| Y | Yield(育てる) | どんな成果や成長が育った? |
このフレームワークの特徴は、「気づく(Perceive)」から始まり、「理解する(Recognize)」で個人の問題ではなく構造との関わりに視点を広げ、最後は「育てる(Yield)」で持続可能な成果へとつなげていく、循環的なプロセスになっている点です。単に「前向きになろう」と個人の努力だけに矛先を向けるのではなく、現状把握・資源の発見・つながり・行動・振り返り・工夫・変革という一連の流れを、状況に応じて行きつ戻りつしながら進めていきます。
プレカリティ心理学コーチング セッションでの活用
たとえば、非正規雇用を繰り返し「自分には能力がないのでは」と自己否定に陥っているクライアントがいるとします。プレカリティ心理学コーチングでは、まず(Perceive)今の不安定な状況を否定せずそのまま言葉にしてもらい、(Recognize)それが個人の能力の問題というより、雇用市場全体の構造的な変化と関わっていることを一緒に確認します。
次に(Explore)本人の強みや使える資源を洗い出し、(Connect)家族・地域・支援制度など頼れる人やつながりを整理したうえで、(Act)今この瞬間に選べる現実的な一歩を一緒に決めます。行動したあとは(Reflect)その経験を振り返って意味づけを行い、(Innovate)状況に合わせて新しいやり方を工夫し、(Transform)生き方や環境そのものを少しずつ変えていきます。そして最後に(Yield)その先にどんな成果や成長が育ったかを共に確かめる——この循環を繰り返しながら、クライアントと共に道筋を描いていきます。
大切なのは、「あなたのせいではない」という前提を、コーチが言葉だけでなく関わり方全体で伝え続けることです。これは、Blusteinらが紹介するフェミニストセラピーやリレーショナル・カルチャー・セラピー(RCT)、ラディカル・ヒーリングといった、社会正義志向の心理療法とも通じる姿勢です。
「抵抗」「適応」「諦め」への理解と共感
プレカリティに直面したとき、人は時に社会運動に参加するような「抵抗」を見せ、時に目の前の生活を守るために不安定な仕事を受け入れる「適応」を選び、時にすべてを諦めてしまう「諦め」に陥ります。これらは対立するものではなく、同じ人の中で同時に、あるいは行きつ戻りつしながら現れるものです。
コーチやセラピストがまず心に留めておきたいのは、「諦め」や「適応」を安易に責めないことです。不安定な状況を生き延びるための、その人なりの知恵として捉え直すことで、クライアントは自己否定のループから抜け出しやすくなります。そのうえで、批判的意識(Critical Consciousness)を育みながら、少しずつ「抵抗」につながる主体的な選択肢を広げていくことが、プレカリティ心理学コーチングの目指すゴールです。
まとめ ― プレカリティ心理学が拓く、新しい支援のかたち
プレカリティ心理学コーチングは、「不安定さ」や「生きづらさ」を個人の弱さに還元せず、社会構造との相互作用として丁寧に読み解き直す、共感に根ざした新しい支援のアプローチです。PRECARITYフレームワークのように、気づき(Perceive)から理解(Recognize)、資源探し(Explore)、つながり(Connect)、行動(Act)、振り返り(Reflect)、工夫(Innovate)、変革(Transform)、そして成果を育てる(Yield)へとつながる道筋を持つことで、クライアントは「自分がおかしいわけではない」という安心感を得ながら、現実的な一歩を踏み出していくことができます。
雇用や経済、社会的なつながりの不安定さが増す今の時代だからこそ、こうした構造への理解と、それでもなお主体的に生きていく力を支えるプレカリティ心理学の視点は、心理職・コーチ・支援者にとって、これからますます重要な視座になっていくはずです。
よくある質問(FAQ)
- プレカリティとストレスやバーンアウトはどう違うのですか?
ストレスやバーンアウトが主に個人の心身の反応を指すのに対し、プレカリティは雇用制度や社会保障、格差といった構造的な不平等との結びつきを重視する概念です。プレカリティは、ストレスやバーンアウトを引き起こす「背景要因」として捉えることができます。
- プレカリティ心理学コーチングは誰に向いていますか?
非正規雇用やキャリアの先行き不安を抱える人、経済的な困難や社会的孤立を感じている人、そして「自分の頑張りが足りない」と自己否定に陥りがちな人にとって、特に有効なアプローチです。
- コーチや支援者はどのように学べますか?
Blusteinらの学術論文や、批判的意識(Critical Consciousness)、リレーショナル・カルチャー・セラピー、ラディカル・ヒーリングなど関連する心理療法の考え方を学ぶこと、そして何より、クライアントの語りを構造的な視点も交えながら聴く姿勢を養うことが出発点になります。
Q.一般社団法人コーチング心理学協会では,「プレカリティ心理学」「プレカリティコーチング」について学べますか?
はい、主に,プレカリティ心理学は,現代の社会において従業な内容になっており,随時,関連する講座などの紹介する予定です。
https://www.coaching-psych.com/event/
Q. 一般社団法人コーチング心理学協会では,「プレカリティ心理学」「プレカリティコーチング」に関する団体研修・法人研修などを実施してますか?(新入社員・中途社員・管理職研修など)
はい,実施しております。もしご希望でしたら,お問い合わせまでご連絡をいただければ幸甚です。
協働で研修なども可能です。対面・オンライン両方とも対応しております。
https://www.coaching-psych.com/contact/
参考:Blustein, D. L., Grzanka, P. R., Gordon, M., Smith, C. M., & Allan, B. A. (Accepted). The Psychology of Precarity: A Critical Framework. American Psychologist.
投稿者プロフィール

- 徳吉陽河(とくよしようが)は、コーチング心理学研究会・コーチング心理学協会の創設者の一人であり、日本・世界のおけるコーチング心理学のパイオニア。コーチング心理士、公認心理師・キャリアコンサルタント、認定心理士(心理調査)、ポジティブ心理療法士、として教育・医療・福祉・産業分野で活動する専門家。東北大学大学院博士後期課程で研究し、国際コーチング心理学会、国際ポジティブ心理学会など、世界で学び、研究を発表。教育プログラム、心理尺度開発なども専門としている。著書に『ポジティブ大全』『科学的に正しい脳を活かす「問いのコツ」 結果を出す人はどんな質問をしているのか?』『ナラティヴ・セラピー BOOK』翻訳書『Tomorrowmind日本語版 これからの生き方』『コーチング心理学ガイドブック』『コーチング心理学ハンドブック』などの翻訳書などがあり、科学的なエビデンスと物語(ナラティブ)に基づくコーチングとウェルビーイング教育を推進している。累計4000名のコーチ、カウンセリング実績」(ワークショップを含む)、「累計6000回以上のセミナー実績」以上の実績がある。国土交通省 航空保安大学講師、元東北文化学園大学講師、元仙台医療センター看護学校講師、元若者サポートセンター講師など。教育機関、海外・国外の法人企業などで講師を担当実績がある。学校法人・企業法人・医療法人(リハビリ)など、主に管理職に関わる講師を数多く担当。座右の銘は、「我以外皆我師」、失敗・挫折もたくさんしており、「万事塞翁が馬」大切にしている。「自己肯定感が低いからこそ成長できる」ことを大切にしている。








